「三遊亭円馬研究」の冒頭に、谷崎潤一郎が書いた「大阪の芸人」という文章が引用されている。それによると谷崎は若い頃、顔がむらくに似ていると言われたことがあるという。谷崎の印象に残る若き日のむらくは、生意気そうで、ふてぶてしいような気迫を漂わせていたと言う。
ところが関東大震災の後、関西に移住していた谷崎はある日、寄席で真打として出演したむらく改円馬を久しぶりに目撃し驚く。谷崎は、歳を取った円馬に出くわし、「明治時代の東京」がむらくという人間に化けて目の前に現れたように感じた、と述べている。そして自分のほかにも関西にやって来た人間はおり、それが若い頃自分に似ているといわれていた円馬であったことに、二人の何か因縁めいたものを感じている。
この文章から感じるのは、三代目円馬が大正半ばから大阪に定着していたことは、東京の人間にはそれほど知られてはいなかったのだろうか、ということである。少なくとも谷崎は知らなかったようである。円馬になってからのむらくは、円蔵亡き後も東京には殆ど行かなかったようであるから無理も無いのだが…