はじめに
落語には「東京(江戸)落語」と「上方(大阪)落語」がある。
東京の落語は、いわゆる江戸弁、下町の江戸っ子言葉で語られるのに対し、上方落語は大阪弁により演じられるのが常だ。だから基本的には、東京を中心にした関東出身者が江戸落語、そして大阪を中心とする関西出身者が、上方落語を長年演じてきた。東京の落語家が大阪で落語を演じたり、またその逆はあっても、江戸の落語家が上方弁で上方落語を一席、などという事はありえない。落語が話芸によって成り立つものである以上、中途半端な言葉使いでは聞き手を納得させる事が出来ない。もし関西の落語家が、標準語を多少使えるからといって東京落語を演じたとしても、噺の出来栄えは彼本来の、大阪弁による上方落語を超える事はまず不可能であろう。
しかし、明治後期から大正、そして昭和に入っても戦前まで活躍した三代目三遊亭円馬という落語家は、その不可能を可能にした、言わば「奇跡の落語家」であった。円馬は、生粋の大阪人でありながら、若くして上京し東京で修行。上方落語と同様に、東京落語も巧みに演じる事が出来たと言う不世出の人であった。このページでは、三代目円馬についてご紹介していきたいと思う。
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