「奇跡の話芸」三代目三遊亭円馬

 

 

 

円馬ゆかりの人々(4)三遊亭金馬

戦前から戦後にかけて「居酒屋」「孝行糖」など、多彩な演目と分かりやすい語り口で人気を博した三代目金馬は、当初は講釈師を志していたが、後に三遊亭円歌に入門し落語家に進路を変更する。むらくが円蔵との喧嘩後、東京を飛び出し地方を巡業したときに、若き金馬もむらくと共に旅をし、このときに薫陶よろしきを得て稽古を付けてもらい多くの噺を教わった。これが金馬にとって、一生の財産となっていくのである。むらくは故郷の大阪に帰ったが、金馬は東京に戻り、昭和に入って東宝名人会に所属し人気者となった。

正岡は、三代目円馬の芸風について「文楽と金馬を足して、豪快さを付け加えたもの」と表現した。名人文楽と、子供にでも分かりやすい金馬の芸は一見違いがあるようだが、明解で細部にまで配慮の行き届いた金馬の落語もまた、文楽と同じ「楷書の芸」であったと言う事が出来るだろう。所謂「落語通」になると、金馬の落語を軽んじる風潮もあったが、文楽はその骨太の芸を高く評価していた。

 

 

 

 

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