過去のコラム

2004年4月18日

プロファン

イラクで捕らわれていた3名が解放され、日本に帰国した。彼らと、その家族に対する非難がもの凄いらしい。なんとなく分かる気がするが、しかしいったん「コイツは叩けるぞ」と分かった時のメディアと、そして一般社会の「集団リンチ」に対する執念もまた凄い気がする。もっと公平な、醒めた見方は出来ないものであろうか。

今回、彼らを批判する時に言われたのが「イラクで拘束された3名はいわゆる『プロ市民』である」という言葉らしい。この表現自体、思想的にかなり偏ったものであるらしいのだが、そのニュアンス自体はよく分かる。要するに日本における市民運動というのは、簡単に言えば左翼運動であることが多いのであろう。それらは、決して一般の、本当の意味での市民からはちょっと距離があるように思う。もっと言えば、日本では「市民」という意識はそれほど(欧米ほどには、という意味では)強くないはずである。それに保守系の人々は、自分たちの事を「市民」と定義づける事はあまり多くないと思う。この「プロ市民」の人たちは…私の先入観かもしれないが…「私は」とは滅多に言わず「私たちは」あるいは「我々は」という言葉を使いたがる傾向にあると思う。組織的連帯を謳っているのだろうが、そこで既に「運動」臭さがぷんぷんするのだ。いわゆる職業的運動家という存在と、彼らの主張がマジョリティにはイマイチアピールしない原因かもしれない。

でも、そういう事を語るのが今回の主題ではない。私が面白いと思ったのは「プロ」の方である。同じ理屈で言うならば、プロ野球の応援団やJリーグのサポーターは「プロファン」であろう。ただ彼らは、経済的なものを含めた支援を、どこかの団体から受けているかどうかは分からない。しかし阪神の応援団であるとか、鹿島アントラーズのサポーターであることが本業より有名な人もいるだろうし、その応援やサポートに賭ける情熱が本業以上のものである人はざらにいることだろう。

ではタレント、アイドルの追っかけはどうだろうか。彼らも多くは収入を得る為の職業を持っていたり、あるいは学生でアルバイトなどして生活費を捻出しているのだろうが、その日常生活における自由時間や、収入の殆どを自分の「追っかけ」る対象に費やしていると聞く。生活の為の職業としては成立していないかもしれないが、専門家的なファンと言う意味では、またある種のプロなのかもしれない。プロ市民とプロファン、どちらも自分信じる物、あるいは愛する対象に対する愛情が人並み外れている部分では似ていると思うし、自分の思想に敵対する人間への激しい闘志と憎悪もまた、ちょっと合い通じるものがあると思うのだが、いかがであろうか。

(文中敬称略)

2004年4月16〜17日

ボストン旅行

ボストンに行ってきた。17日の野球の試合を見るのが目的だったが、街は19日に開催されるボストン・マラソンほぼ一色になっていた。

疲れているので、今回はデジカメ写真だけでご勘弁を。

(クリックすると大きくなります)

名物クラムチャウダー。

♪Where everybody knows your name...

ホテルに、日本語でこんな案内が….

ええ天気や

試合前の打撃練習

ムース、ピリッとせず。

同時刻にはNBAプレーオフが。

ゴール地点に作られた仮設スタンド

(文中敬称略)


2004年4月15日

日本人に戻る瞬間 

アメリカに住んでいて、当然の事ながらアメリカ人と始終接して暮らしている。アメリカ人だけではない、もちろん他の国の人々とも交流があるし、他の在米日本人とも仲良くしないといけない。いや「いけない」訳では無いのだが、まぁお付き合いは当然ある。

そういう日本人の知人と街で出くわす事がある。それも突然、道端でばったり、というケースがよくあるのだ。こういう時は困る。なぜかというと、そういう時に限って、アメリカ人と話をしていたりするのだ。英語で話すと、別に格好つけている訳ではなくても、どうしても身振り手振りや表情が、日本語での会話に比べてオーバーになっている事が多い。というか、英語式のボディ・ランゲージになっている。相手が物静かな人だとそうでも無いが、にぎやかな黒人やラテン系の人々だと余計にその度合いは強まる。

そして彼らと別れる時、あるいはやはり同様にばったり出くわした時には、所謂西洋人式の挨拶をしている。つまり大きく手を広げながら近づき、「ハーイ」とか言いながらがっちり握手したり、抱擁したり、というアレである。これを私は「西洋式ハーイ」と呼ぶ。

そんな「西洋式ハーイ」の最中に、こんどは別の、しかも日本人の知人と出くわしてしまった!これは現実の話である。さぁ今度はどうするか。いきなり日本人モードになり、「ああ、これはこれは○○さん、どうもご無沙汰しております」と言いながら、こっちも向こうも共にお辞儀をしているのだ。私はこれを「日本式これはこれは」と呼んでいる。

このスイッチの切り替えは難しくは無いが、ちょっと恥ずかしい。なにしろさっきまで話していたアメリカ人は、まだ至近距離にいてこっちを注視している場合が多いからだ。その瞬間、自分は日本人に戻るのである。いや、実際にはいつ何時でも日本人なんだけど…


2004年4月14日

陸上競技場

昔から不思議なのだが、どうして日本ではスタジアムを建設するというと、陸上のトラックが付いている「総合競技場」になってしまうのだろうか。関東地区だけでも国立競技場をはじめ、横浜国際競技場や味の素スタジアムなど多くの大型総合競技場がある。正直に言うと、そんなに多くの陸上競技場は必要ないのではないだろうか。陸上の大きな国際大会はそんなに頻繁に開催される訳では無い。あえていえば、あの「国体」という、戦後からいまだに開催され続けているちょっと不思議な総合スポーツ大会のイベントに使うことくらいが関の山だとは思うのだが、それでも2002年ワールドカップ用に全国で作られた、多くのスタジアムは陸上競技場として使用できるような仕様になっている。もちろん、陸上が嫌いという訳ではない。ただそんなにたくさん要らないだろう、と思うのである。

私はサッカーやラグビー、アメリカンフットボールなどの屋外球技が好きなので特にそう思うのかもしれないが、国立か横浜のどちらかひとつが、球技用のスタジアムになったら良いなと思う。浦和レッズの本拠地としても使用されるさいたまスタジアムは、サッカー専用に作られているが、アジア最大級の球技専用スタジアムとはいえ、たかだか6万人強のキャパシティに過ぎない。鹿島スタジアムも立派なスタジアムに生まれ変わったようだが、都心とは呼べない場所にあるのと、やはり4万人台の収容人数が不満である。

これは関西も同じ事だ。いやもっと悪いかもしれない。神戸ユニバー記念競技場と、大阪長居スタジアムはどちらも陸上競技場の上、神戸ウィングスタジアムは屋根をつけてから、日当たりが悪くなり芝生のコンディションが最悪らしい。これでは全く本末転倒だろう。しかも、どのスタジアムも5万足らずのキャパシティしかないというのは、日本を代表する都市圏の球場としては全く不満足であろう。

だが今回は、とりあえず関東に話を絞ろう。どのスタジアムも赤字で大変なのは分かるし、まして国や自治体にも予算が無く、またスタジアムを満員に出来るイベントが無いというのは理解出来る。ただ出来れば、横浜国際は球技専用にして欲しかった。W杯決勝だって行われたんだし…今更言っても仕方が無いのだが、韓国には球技専用スタジアムがたくさん出来たようだ。あちらはラグビーやアメフトは盛んでは無いので、ほぼサッカーの独占使用だろう。中国だって良いスタジアムを建設すると聞いている。フットボールファンは基本的にフットボール専用でピッチから近いスタジアムを望むし、いい球場を造れば集客へのアピールとなる、と考えるのは甘過ぎるだろうか。

とりあえずは8万人規模の、サッカー日本代表の本拠地としてワールドカップ予選で使用したり、また天皇杯の決勝に使ういわば「和製ウェンブリー」と、そしてそのサブグラウンド的に利用できる3万人規模の屋根つき球場、つまり形状は仙台スタジアムで、地理的には秩父宮ラグビー場並みの副本拠地が都心にひとつ欲しい。さすがに両方は欲張りすぎだろうから、小さいほうだけでも何とかならないか。

ここまで書いてふと気付いたのだが、アメリカでは殆どのスタジアムがフットボール専用球場だ。陸上専用スタジアムで大きなものは殆ど無いと思う。LAオリンピックのメイン会場だった、メモリアル・コロシアムはもちろん陸上の使用にも耐えられるだろうが、今では専らUSCトロージャンズの本拠地として利用されていると思う。陸上大国のアメリカだが、やはりそんなにたくさんの巨大陸上スタジアムは需要が無いのである。スタジアムの数やキャパでは敵わないとしても、内容だけは充実させていくことが可能だろう。

※なんでも予算不足により、まだトラックが設置できていないというのは本当ですか?写真で見る限り、スペースは取ってあるようですが…

(文中敬称略)

2004年4月13日

だいこんの花 

私が子供の頃ドラマ好き(最近では、全くそんなこと言えないが…)になったきっかけとでも言うべき作品があって、それはNETで放映されていた「だいこんの花」というホームドラマであった。初放送は1970年だそうだが、私が見ていたのは年代的にもシリーズ後半の回だろう。

このドラマは、森繁久彌演じる父と、竹脇無我の息子のふれあいというか、新旧世代のぶつかり合いのようなものをコミカルなタッチで描く作品であったと思う。森繁は元海軍大佐で、巡洋艦「日高」の艦長だったが、今では妻を亡くして隠居の身。なんとなく過去の栄光を引きずっているというか、忘れられない感じだ。近所にはかつての部下(大坂志郎)が「日高」という名の料亭を経営していた。森繁はかつての部下たちには偉そうに威張っているが、時代の移り変わりについていけてない。だからいろいろとトラブルを起こす。

竹脇無我は独身だったが、いしだあゆみ演じる彼女がいて、最終的には彼女と結婚する…というのが基本的な設定だったと思う。何しろ30年近く前(!)に見た記憶だけを頼りに書いているので、本当にそんな内容だったか確信は無いのだが、設定は間違い無いだろう。森繁・竹脇のコンビは、その後も同じような設定のドラマシリーズをやっていたようだから(私は見ていない)この作品はやはりヒットしたのである。

あの頃の森繁はえらく老人に見えたが、よく考えたらまだ50代後半〜60歳だったんだよな…ひとつだけギャグで覚えているのは、長男夫婦の家に遊びに行った時、夫婦が出かけて一人にされてしまい、森繁は腹が減ったので部屋の中を物色する。ゴルフボール状の球体が入った箱を見つけて「フッフッフ、こんなゴルフボールみたいな形だけど、中にチョコレートが入っているだろう、分かっているんだから」と言いながら齧ってみると、それは本当にゴルフボールだった。森繁のチョコレートを見つけた!という喜びと、それを齧ったときに歯が痛かったという苦悶の表情、そしてただのボールだと悟り、それを投げつける怒り…こういう喜怒哀楽の表現は、今にしても上手かったと思う。

脚本は向田邦子だった。私は彼女の書いたエッセイが大好きだが、このドラマのシナリオを書いていた、というのを知るのは死後大分経ってからである。彼女は厳格な父に育てられたのだが、そういえばこのドラマの森繁も、そして「寺内貫太郎一家」の小林亜星演じる石屋のオヤジも、日本の伝統的な父親像をよく描いていた。もしこの時代に向田が生きていたら、一体どんな家族の風景を描き出したのであろうか。

<追記>「だいこんの花」のヒロインはいしだあゆみだけではなく、シリーズごとに交代していたらしい。いしだは、最後の2年間ほど出演していたようだ。

(文中敬称略)

 
 

 

 

 


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