レストランへ食べにいったり、何も作りたくないときは、近所のレストランに注文して持ってきてもらう事が多い。いわゆるデリバリーである。デリバリーといえばピザが有名だが、ニューヨークで多いのは中華料理のデリバリーだ。小さなチャイニーズ・レストランはニューヨーク市内の至るところにある。 中華の良いところは、安い、量が多いところにあるだろう。ニューヨークの中華は、他の都市に比べると割高で量も少なめの印象があるが、それでも他の料理に比べると安いものである。美味しい中華を求めるなら、それなりの店を選ばないといけないが、とりあえず肉と野菜、それにお米が食べたい!というときは、こういう出前専門のお店で充分であろう。特にランチは安い。ご飯(炊いただけのご飯かチャーハンが選べる)とメイン、それにスープか缶ソーダ1本ついて4〜6ドル。1人前だけだとデリバリーをしてくれない店もあるが、デリの兄ちゃんにチップをあげれば良いだけなので、やはり安上がりでつい利用してしまう。またそういう店はデリバリーが主力なので、店に行ってもその場で食べるスペースが少ない事が多い。 このフォーマットは他の料理にも応用される事があって、ベトナム料理やタイ料理店にもこういう形態の店がある。うちの近所のベトナム料理店はアメリカ人にも評判がよく、そこは店舗のスペースも大きい。週末など、ランチタイムは待たされる事もある。私はカレーに目がないので、何時行ってもエビのカレーを注文するのだが、美味しくて安い。タイ料理店でもカレーと、トムヤムクンの組み合わせだ。ただアメリカ人に好評のお店、ということは、味的には辛さを抑えている場合が多い。だからきちんとテーブルに座って食べるときは「特別に辛くしてくれ」という風に注文する。そうすると料理人も気合が入るのか、ぐっと辛味を増したトムヤムクンが登場して来る。 話を戻すと、中華料理レストランにある食べ物といえば、ホット・アンド・サワースープというものをすぐに思いだす。酸辣湯というらしい。これは、中国ではあまりメジャーではないと聞くが、アメリカの中華料理店ではだいたい置いてある。要するに、辛くて酸っぱいスープ。具は豆腐とか卵とか筍とかキクラゲ、というまぁ中華のおなじみキャラクターが揃っている。寒い日は、これでも食べておくととりあえずは温まる事が出来るようになっている。そんなに凄く美味しい!という感じもしないのに、なぜか頼んでしまう。トムヤムクンもそうだが、私は酸っぱ辛いものが大好きである。 あと好きなのはブロッコリーだ。ブロッコリーの炒め物は本当に美味しい。ブロッコリー自体好きなのだが、中華風の味付けをしたブロッコリーは最高である。アメリカ人はブロッコリーを生で食べるのが好きだが、やはり火を通したほうが私は好きである。 |
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日本でもだんだん有名になってきたので皆さんもご存知かと思うが、今日はセントパトリック・デーだった。アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックのお祭りである。もちろんアイルランドの首都、ダブリンで行われるフェスティバルが本物であるが、なんでもニューヨークのセントパトリックデー・パレードのほうがより大規模らしい。ニューヨークには多くのアイリッシュ達が住んでいるのだ。パレードではアイルランドの民族衣装に身を包んだ多くのバンドによるバグパイプによる演奏が行われ、沿道の参加者たちもみな緑の服や帽子、あるいはアイルランドの国旗などとにかく緑色のものを何か見につけて参加する。写真をクリックすると拡大します。
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またマイケル・ブルームバーグ市長もパレードに参加していたが、人気が無かった。 その後、ミッドタウンにあるアイリッシュパブに立ち寄ってみたが、まだお昼過ぎだというのに店内は超満員。ランチを食べている人もいたが大半の客はビールを飲んでおり、すっかり出来上がっていた。店の中でもバグパイプの生演奏が行われ、大いに盛り上がった。 日本でもこの期間中「アイルランド・フェスティバル」が開催されているようだ。興味のある方は、こちらのサイトでもご覧いただければ参考になるかと思う。参考サイト |
鳥インフルエンザで、問題のある鶏を出荷してしまった会社の会長が自殺したのはご存知の通りである。そのことについて下村健一が書いたコラム(公式サイト内)がある。参考記事 メディアの自殺、と言う言葉は重いと思う。だがその当事者たちは、実際には命を落としていない。死んだのは、マスコミによる猛攻撃を受けた者である。もちろん、彼らには重い責任がある。しかしそれはきちんとした手続きで裁かれるべき問題である。メディアに裁く資格などあるまい。 さらにこちらには、下村コラムの反響が掲載されているので、合わせて読みご判断をいだだきたいと思う。参考記事 |
高野長英が宇和島にいた頃、洋書を翻訳する時に用いていたのは蘭仏辞書であった。つまり長英は、オランダ語だけではなくフランス語をも理解していた事になる。さらに長英の訳した本には「旁訳洋文解」という、オランダ語、フランス語そして英語の翻訳解説書もあった。長英が宇和島にいたのは、まだペリー率いる黒船が日本にやってくる前のことである。 1808年、英国船が突如長崎に侵入した「フェ−トン号事件」をきっかけに、オランダ語にとどまらぬ広い外国語学習の必要性が認識された。長崎にいるオランダ語の通詞(通訳)たちは英語を学ぼうとしていたが、当時は教材などろくにあるはずもなく、オランダ人を通じて英語を学ぶなど、大変に苦労していたのである。 そんな時、彼らにとって格好の人物が現れた。「史実を歩く」(吉村昭、文春新書)に日本最初の英語教師、として取り上げられたラナルド(レイナルド)・マクドナルドである。マクドナルドはスコットランド人の父と、ネイティブ・アメリカンの母を親に持つアメリカ人だったが、日本へ行く事を憧れて捕鯨船に乗り組み、単身北海道の礼文島に上陸した。上陸後捕らえられたマクドナルドは、長崎へ護送される事になる。 しかし当時の日本には英語を解する人間がいなく、マクドナルドもまた日本語を解しなかった。当初マクドナルドに接した松前藩の役人は、彼の名前を正確に聞き取れず「マキドン」と記入したという。日本に最初に来たマクドナルド氏は、マックでもマクドでもなく、マキドンと呼ばれたのである。 やがて長崎に送られたマキドン、いやマクドナルドを待ち受けていたのは長崎の通詞達であった。彼らの語学学習能力は卓越しており、マクドナルドを先生としてたちまち英語の力を伸ばしていくのである。もちろんマキドンなどと自分たちの先生を呼び違える事もなかった。特に森山栄之助(森山多吉郎)という通詞の語学センスはなかなか素晴らしかったようで、マクドナルドを感心させたという。マクドナルド自身も、彼らから日本語を学んだ。後にマクドナルドは日本を後にするが、森山はペリー訪日時の日米交渉においても通訳として活躍した。参考サイト あの福沢諭吉もオランダ語に失望した時、森山について英語を習おうとしたのである。
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長英が潜伏し洋書を翻訳していた時に住んでいたのは麻布、そして捕らわれ自刃した時に住んでいたのは青山百人町であったと言われている。この百人町というのは、今で言うと港区南青山5丁目付近にあたる。イラストレーターの安西水丸が、そのことについて触れたコラムがある。 参考サイト 青山百人町は、江戸城の警護にあたる同心や与力など、幕府の役人がたくさん住んでいた町だから、そこに住むというのはなんとも大胆な行動と言うほかは無いが、逆に「灯台下暗し」というのを狙ったのである。当時の長英は逃亡中死亡した、あるいは北海道か、果てはロシアにまで逃亡してしまったという説が支配的だったそうだから、まさか江戸、しかも幕吏達が住む町に潜んでいるとは誰も思わないであろうし、着想自体は悪くなかったのかもしれない。 ただ顔を焼き、変名を使ってまで生き延びようとしたのに、結局は察知され自害に追い込まれてしまったのだからなんとも不憫ではあるが、写真や科学捜査など何も無い時代にもかかわらず、幕府の捜索能力というのは本当に凄かったらしいから仕方が無いであろう。また麻布での潜伏先は宮下町と言って、いまの麻布十番辺りに属するらしい。 六本木や麻布は、今は殆ど旧町名が消えてしまっている(狸穴町や永坂町など一部は残っている)。今の呼び名しか知らない世代には、個性豊かな旧町名はかえって馴染みが薄いが、その呼び名でずっと生活してきた世代の人には、○○何丁目、というのは非常に味気なく感じたらしい。これは、何も麻布に限った話ではないであろうが。 昭和の名人・三遊亭圓生の落語レコードを録音した日々を描いた「圓生の録音室」(京須偕充、中公文庫)という本の中で、レコードのプロデュースを担当した著者が、古参の放送プロデューサー、出口一雄に会社の所在地を教えるくだりがある。六本木三丁目です、と言うと出口は「三丁目?そう言われてもわからない。どうも近頃の丁目ッてやつは」とぼやいた(p.45)。著者は三河台町、飯倉寄りと説明している。70年代前半の話だ。 また話は変わるが、あのエリアで私が好きだったのは広尾周辺、特に有栖川宮記念公園であった。都心ありながら、落ち着いた雰囲気があって和む事が出来る。都立中央図書館があって、ここで本を読んだり調べものをするのが好きだった。腹が減ったら、図書館の上の食堂で済ます手もあるが、商店街の方まで下りていって食事をとる。「今日は広尾でお昼を食べてきた」というと、たいていの人はなぜか反射的に「またお洒落なところで…」「高かったでしょ?」などと言った。実際には中華定食屋で、スタミナ丼とか餃子ライスなどを食べているのが殆どなのだが、まぁ思わせておく分には良い。 数年前、広尾駅近くにある新聞スタンドに「USA TODAY」が売っていたので買い求めようとしたら、スタンドのおばちゃんが「それ、いくら?」と尋ねられて驚いた。「え、いくらって、おばちゃん知らないの?」というと「それ、あんまり売れないんでね…アメリカだといくらなの?」「50セントですよ」「じゃあ50円くらいかね」そんな安い新聞は日本に無い。「いや、120〜30円くらいはすると思うけど」と言って、結局はそれくらい払った記憶がある。あまり商売ッ気の無い感じだったが、実際にはもう少し高いかもしれない。産経新聞のサイトで定期購読を受け付けているが、月4回で1000円のようだ。ただ駅売りに関しては国際版というのか、米国版よりはページ数が少ないバージョンのものだったので、130円でも悪くは無いだろう。第一、おばちゃんの言うとおりにしていたら50円で済んだ訳だし。 (文中敬称略) |
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