昨日ドラマを見ないという話をしたが、毎週見ているドラマがあった。それがSEX AND THE CITYである。HBOで日曜日夜に放送されている人気ドラマで、日本でも遅れて放映されているらしいからご存知の方も多いだろう。 このSEX AND THE CITY、実は来週が最終回になる。舞台はニューヨーク、4人の美しい女性の生き方を描いた作品なのだが、HBOらしくかなり過激な台詞が多い。それもまた人気の秘密なのだが、私はシャーロット役のクリスティン・デービスが好きだ。主演のサラ・ジェシカ・パーカーは「エド・ウッド」という映画で見て以来注目していたが、実生活ではマシュー・ブロデリックと結婚、二人とも仕事が軌道に乗っている。ただちょっと面長というか、魔女を思わせるシャープな風貌で、私はあまり好きな顔立ちではない。 ではニューヨークに生きるアメリカ人女性が皆このドラマを好きか、というとそうでもない。サラ・ジェシカ・パーカーの演技が嫌いという人も多いし、ストーリー自体が嫌いという人もいる。でも見て決して損はしないドラマだと私は思う。何よりニューヨークの街並みに嘘が無い。日本のテレビ局が作っているニューヨークの映像には作為が感じられるので私は好きでは無いのだが、この作品のニューヨークは(当たり前だが)そのままニューヨーク、という感じがする。 初めの頃はコミカルなシーンも多かったが、ドラマが終盤にさしかかるに連れてだんだん内容的にシリアスになって来た。これ以上はネタバレになるから話さないが、WOWOWが見られるかたは一度ご覧になっていただきたいと思う。そういえば「フレンズ」も最終回を迎える。最終回のCM料金はスーパーボウル並になるらしいが、個人的にはあんなつまらないコメディも無いと思っているので一度も見たことが無い。好きな方には申し訳無いが…日本からアメリカに来て住んでいる独身男性の90%は「フレンズ」をみているという。そういうのも嫌いになるファクターかもしれない。 |
以前にこのコラムで書いた「金妻」シリーズは、TBSの「金曜ドラマ」という時間帯に放映されたドラマである。「金曜ドラマ」は、午後10時から1時間放映されるホームドラマシリーズであった。ホームドラマと言っても、さすがに10時台ともなるとぐっと内容的に大人向けになる。「3年B組金八先生」のような家族揃って見られる内容のものは少なく、むしろ恋愛、不倫、そういったテーマを全面に押し出すものが多かったと思う。家族がテーマだとしても、その内容はとても重かった。 その初期代表作が「岸辺のアルバム」であろう。岸辺シローの話ではない。一見幸せそうに見えて、実はメチャクチャな家族の物語である。そして最後には、家が洪水で流されてしまう。このドラマは、やはり主題歌がとても印象的であった。なんと言うタイトルか知らなかったが、ジャニス・イアンの「ウィルユー・ダンス」というそうだ。私はこの人の歌声を聴くと、とつぜん70年代へ引き戻されたかのような気分に陥る。ただ最近も活動している人なので「70年代の人」と決め付けてしまうのも悪い気がする。それに日本では、また彼女の曲が人気を集めているようで何よりである。関連記事 「岸辺の…」脚本は山田太一だった。いつも書くので読み飽きた人も多いだろうが、この人を渋谷の旭屋書店で見かけた時は本当に興奮した。すぐに著書をその場で買い求めてサインしてもらおうと思ったが、短い時間立ち読みしていた山田氏はあっという間にいなくなり、サインは貰えなかった。「思い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」なども山田氏が金曜ドラマのために書いた作品だが、私は「ふぞろいの…」は見ていなかった。山田氏のドラマには、メインテーマ曲が流れキャストのクレジットが流れる合間に、その回のハイライト映像が挿入される事が多かったと記憶している。これは山田氏が担当したNHK大河ドラマ「獅子の時代」でも同様であった。 ほかに私が好きだったのは「くれない族の反乱」である。これは大原麗子と田村正和主演だ。いわばメロドラマの王道である。「くれない族」とは、夫に構ってもらえない主婦達の意味であったと思う。このドラマもまた主題歌が印象的で、竹内まりあの「もう一度」。私はついさっきまで、この曲のタイトルは「つのる思い」だと思っていたがどうも違うようだ。やはりこの曲を聴くと、80年代半ばに引き戻されてしまう。 なんでこんなにドラマ、しかもどちらかというと女性向きだと思われる作品が好きだったのか自分でも不思議だが、今はもうこんなにドラマを見ない。何を見てもつまらなく感じてしまう。フジテレビの「白い巨塔」は結構見ているのだが、それでも田宮二郎の昭和版にはやはり勝てまい。「金曜ドラマ」シリーズは、私に甘く切なく、時に過酷な大人の世界を見せてくれたんだと思う。 他にも昔のTVドラマの思い出は尽きないが、また別の機会に。 |
子供の頃、牛肉料理の王様といえばすき焼きであったように思う。それが何時の間にか、焼き肉に王座を奪われてしまった感がある。焼き肉、しゃぶしゃぶ、ステーキ、下手したら牛丼よりマイナーな存在になってしまったかもしれない。すき焼きには哀愁を感じる。 古川緑波に「牛鍋からすき焼きへ」という一文がある。インテリだったロッパは、また大変な美食家、大食漢でもあった。すき焼きというのはあくまで関西の食べ物で、もともと東京では牛鍋と呼んでいた。両者は作り方も違った。牛鍋は牛肉に割り下がほどよく絡めてあり、これをねぎと煮て食べる。そしてすき焼きとの最も違う点は、生卵をつけて食べないところにあったという。ところが関西のすき焼き屋が何時の間にか東京にもはびこり、牛鍋は一掃されてしまったのだ。やがて東京でも「牛鍋」と言う言葉は死語になっていくのだが、それでも調理法自体は残っていたという。つまり名前は関西風にすき焼きと改められても、実際には牛鍋の名残を残していた店が戦後まで多かったそうだ。 また昔は「牛屋の姐さんみたいに荒っぽい」という形容表現があった。これはロッパのコラムで初めて知ったのだが、庶民的な牛鍋屋は大きな座敷に客が座ってそれぞれ食事をする中を、ウェイトレスのお姉さんがもの凄い勢いで皿を抱えて通っていく為、うっかりしていると蹴飛ばされそうな勢いだったからこういう言い方が出来たのだという。 何しろ、すき焼きというのはあまりメジャーではなくなった。美味しいのだけれど、あまり毎週のように食べたいというものでは無くなった。牛丼はそうでもない、あれは毎週でも食べられる。かなり似通った食べ物に思うのだが、何が違うのであろうか。すき焼きは高級な肉のほうが美味いが、牛丼にあまり良い肉を使ってはいけない。いい肉をくたくた煮込むのは勿体無いし、第一そんなことしても美味しくない。 林家正蔵(彦六)の家では「牛めし」をよく作った。牛すじを長時間煮込んで、ねぎやしらたきと一緒に食べるというから牛丼とほぼ同一のものと思って間違いないであろう。「昔は芸人が貧乏だったから、牛すじを煮込んで食べてすき焼きを食べた気分になろうとしたのさ」と正蔵は語っていたという(吉川潮「江戸前の男」)。弟子たちもこの牛めしの味を愛したという。そう、素朴で庶民的な味ほど、何時までも忘れられないものなのである。
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たまに質問されるのが「やっぱり英語はペラペラなんですか?」と言うことだ。しかしこれほど答えに困る質問も無い。そもそも「ペラペラ」とは、一体どれくらいの英語力をさすのであろうか? 日本人は一般的に、自らの英語力、とりわけ会話に自信を持っていない。「自分が英語を話すことが出来る」と答える日本人(それが事実であるかどうかはともかくとして)は、おそらく全人口の1%もいないと思う。だからその1%以下の人々が、所謂「ペラペラ」の人々なのであろう。 ペラペラの条件を具体的に書き表してみよう。 1.英語による会話を聞いて正確に理解し、話す事が出来る。映画やテレビドラマなども同 様に理解し、楽しむ事が出来る。 2.英字新聞や雑誌を読んで理解する事が出来る。 3.英語の手紙やレポートを、ほぼ文法的誤り無しに書くことが出来る。 4.人前で英語によるスピーチを行う事が出来る。ネイティブスピーカーは、そのスピーチの 内容を理解する事が出来る。 本来2と3は「ペラペラ」と言う言葉にはそぐわない。しかし「アノ人、ニューヨーク・タイムズなんか読んでいるよ。きっと英語ヨミヨミだね」とはいわないので、一応入れておこう。 しかしこうして挙げてみても、自分が「英語ペラペラ」であるかどうかはまだわからない。それに語学というのは、常に自分より上の人間を見つけることが出来るものである。これは母国語である日本語でだって同じだろうが、外国語の場合は更に顕著だ。私より英語力のある日本人は掃いて捨てるほどあり、彼らは私にとって今も「英語ペラペラ」の人々である。ただ英語に対し日々接していると「馴れ」「開き直り」「諦め」の気持ちもある。つまり「分からなきゃ聞き直したら良いや」「上手く書けなくても、適当に分かってもらえれば良いや」という気持ちである。この気持ちを持つと、英語を使う事に対するためらいは一掃される。日本人にありがちな「英語コンプレックス」とはお別れすることが出来る。 その代わり、これ以上の進歩も望めなくなる。海外に長く住んでいるから英語が年々上手くなる、というのは幻想に過ぎない。語学力の伸びは、身長のようにいつかは止まる時が来る。何時くるかは個人によって異なる。あなたが不断の努力を怠らない、そして本当に英語が上手くなりたいと心から願うなら、その進歩は(身長とは異なり)天井知らずかもしれない。だがそれは、もはや趣味の領域に近い。男性なら身長180cm以上になりたい人は多いとしても、2mを超えたいと思う人は稀だろう。「英語身長」も2mあれば個人的優越感、満足感は得られるだろうが、現実的な旨みは意外に少ないだろう。 また日本にいる頃「英語が得意」と言われている有名人、文化人を見て「この人英語上手いなぁ、凄いよなぁ」と思うことは多々あった。だが今、その人達の英語を聞いてみると、大抵感じるのは「結構拙いところもあるんだなぁ」ということである。彼らもまた「ネイティブ・スピーカー」ではない。英語を駆使して要人や俳優などにインタビューするニュースキャスター、同時通訳として有名な人、英語のDJで活躍していたおじさん…もちろん英語上手いんだけど、自分の英語力もこの人達にやや接近してきた。彼らの個別の弱点みたいなものも、具体的に分かるようになってきた。彼我の差が、実測できる距離まで近づいてきたのである。だから昔は「ペラペラ」と思っていた人々が、今や「ペラペラ」では無くなってきた。その一方では、逆に発音が流暢でなくても、骨組みのしっかりした英語を駆使する人は頼もしく思えるようになってきたのだが。 そうすると、「ペラぺラ」というのはどうも相対的なもののようだ。だから私は、英会話に全く自信のない人から見れば立派な「ペラペラ」であろう。だが英語力の豊かな人からみれば相変わらずの「ヘタクソ」である。 ただ会話で言うと、意外に見落とされがちなのは「話題」である。TOEICなどの英語試験ではわからないのがこれだ。リスニングのスキルがあり、発音がきれいでTOEICのスコアも高いとしよう。でもだからと言って、あなたの英語での会話が”弾む”という保証はどこにも無い。あなたが外国人と話すべき共通の話題、会話の接点がなければそれまでである。逆に多少ヘタクソでも、話題の豊富な人は結構盛り上がることがあるだろう。ミュージカル映画に詳しい人、トルーマン・カポーティの愛読者、バスケットボールのファン…こういう人は強い。漠然と「イギリス人と楽しく会話が出来るようになりたい」というよりも、「ロンドンの地元フルアムファンの人と、稲本潤一の先週のゲームにおけるプレーについて語り合いたい」と言う人のほうが盛り上がるであろうことは想像に難くない。 逆に「ネイティブ」同士でも話題が合わないと面白く無い。セイン・カミュは日本など海外で育ち、大学でアメリカに戻ったらしいが、アメリカ育ちのクラスメートととは見てきたテレビ番組など違う為、彼らのギャグがよく分からず笑えなかったと書いていた。 ことほどさように「ペラペラ」への道は険しいので、迂闊には聞かないで欲しい。 |
学生時代、杉並に住んでいた。ひとり暮らしの若者が多く、また若者向けのお店なども多くて大変好きな街だった。しかし先日も書いた通りお金が無くて…今から思えば、学生の割には小金はあったのだがすぐに使い果たしてしまった…何時も食費に困っていた。 駅前の商店街に古びた洋食屋があり、私のお気に入りだった。そこの食事は何しろ安くて、しかもボリュームがあった。ランチが280円だったのだ。当時、学食でランチを食べても320〜350円はした。それも不味い、冷め切ったフライ定食なんかでその金を取るのだ。だが駅前の洋食屋は違った。ランチの内容は日替わりではなく毎日同じだが、ハンバーグにポークカツ、そしてサラダにライスがついて280円。カツは小ぶりだが、作り置きではなく毎回きちんと揚げていた。ライスを大盛りにしても320円だったと思う。牛丼より安い値段で食べられるのだから重宝していた。しかもランチと言いながら、夜も食べられたのが嬉しかった。 その店で一番高いメニューは「スタミナ料理」といい、700円した。当時の私には、一食700円というのは結構な投資であり、これを食べたことはなかった。何より「スタミナ料理」という、なんともベタなネーミングが注文をためらわさせていたのも事実である。それに「スタミナ料理」では、一体どんな食べ物だか分からないではないか。でも一度くらいはこの料理を頼んでみたいし、またどんな内容の食べ物なのか、興味があった。 ある日、地方から出てきた…訛っていた…労働者数名が食事にきていた。中の一人が「ねぇ、このスタミナ料理って何なの?」と店のマスターに尋ねた。しめた!と思った。これで、遂に、なぞのスタミナ料理の正体を突き止めることが出来るぞ。初老の、愛想の良いマスターはニコニコしながら答えた。「スタミナ料理は良いですよ、スタミナがつきますから」。 答にも何にもなっていない。しかし数度の問答の末、その客は遂に「スタミナ料理」を頼んだ。私はワクワクしながら、その料理が出来上がるのを待った。だが私の座っている位置からは死角になり、彼の食べようとしている料理を見ることが出来ない。かといって、まさか立って覗きに行くわけにもいかない。ほんの少し、チラッと見えただけだった。香りも漂ってきた。恐らくはポークソテーと言うか、ガーリック味の豚焼き肉みたいな料理だったと思う。とにかく、700円の料理は美味そうだった。きっとあの客はあの晩、さぞスタミナがついただろう。なんといってもスタミナ料理だもの。 しかし私のこの町の思い出は、安くて美味しかった280円のランチと共にある。今はもう、その店は無いらしい。 |
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