2004年4月2日ぬき、スタメン、ハンカラ [過去のコラム]外で食事するたびに、一度で良いから注文してみたいと思いながら、いまだ果たせずにいるメニューが幾つかある。その代表格は「抜き」だ。 「抜き」とは何か。これは、そばにメンが入っていない物だ。そばなのにそばが抜いてあるから、抜きと呼ばれるようになったのだと思う。つまり、丼の中には具とつゆだけなのである。だから、かけそばではちょっと成立しない、単なるスープになってしまう。 抜きの代表格は「天抜き」であろう。エビの天ぷらが、おつゆの中に浮いている。そばが無いから、もちろん食事としては成立しない、これを酒のつまみにするのである。 「ぬき」は「台抜き」などとも言うが、そのパートナーは熱燗のお銚子だから、さすがに若者では注文しにくいシロモノだった。もちろん違法行為もあるまいし、頼んでも良いのだが、やはり個々の食べ物にはそれぞれ、適切な年齢というものがある。例えばカツ丼大盛り、豚汁お新香つきを、70代後半の男性が豪快にやっても悪くは無いが、さすがに健康を気にしてしまうだろう。余計なお世話かも知れないが…それとは違う意味で、いい若い者がチビチビ、天抜き相手に酒を飲んでもあまり形にはならないのだ。 そんなわけで、日本に住んでいた頃は筆者もまだ20代だったから、そば屋で抜きをやるのは憚られた。でも今なら、そろそろ頼める年齢に達した気がする。今度一時帰国したら、これを頼んでみたい。もちろん、家でも作る事が出来るメニューだが、さすがに家で作って食べるようなものでもないだろう。 私も20代の頃は、ボリュームのあるコッテリしたものが食べたかった。会社の近くにあってよく利用したのが「キッチンジロー」という洋食屋さんだった。安いし量が多いし、それにおかずが単品では無く複数のものを組み合わせて注文する事が出来る。唐揚げとハンバーグ、スタミナ焼きとメンチカツというようなセットは、まさに若い男の胃袋を大いに刺激し、その後満たしてくれるメニューだった。そしてこのメニューは「スタメン」「ハンカラ」というように省略して呼ばれる。この呼び名がもう、食欲を誘うのであった。もちろんライスは大盛りである。いやこの店には並と大盛りの間で「中盛り」があった。こういう細やかなメニュー設定も、なかなか嬉しかった。
(文中敬称略) 2004年4月1日 サッカルーズドイツ・ワールドカップアジア一次予選、シンガポール対日本の試合は、日本大勝の予想に反して攻撃陣が不発、なんと2−1という均衡したスコアに終わった。何度もいい形を作りながら、どうしても決定的なチャンスをものに出来ない日本代表に対し、ストレスを感じたファンの方が多かった事だろう。 ワールドカップ予選で、強豪が苦戦する事自体は良くある事だ。しかし今回の問題は、いまの日本代表が抱える構造的な問題のような気がする。ではこの惨状は、一体誰が招いたものなのであろうか。メンバー選考から、ゲームプランの設定まで、プロのサッカー監督としての水準を満たしていないジーコ監督の責任は重いと筆者は考えている。ところが、一応試合の上では勝っているから、ジーコを解任する明確な理由が今のところ見つからない。ましてや、ジーコを代表監督に起用した川淵三郎・サッカー協会チェアマンは「ジーコを信じる」と、もはや神頼みにも似た心境に陥っているようである。この調子では、日本のファンは当分憂鬱な日々を過ごす事になりそうだ。 シンガポールは、2010年のワールドカップ出場を目指して強化に励んでいるという。しかし、現時点では彼我の実力差はかなり大きい。いくらアウェーとはいえ、日本が苦戦するような相手ではないだろう。得点が取れないのを監督の責任だけにしてはいけないが、就任以来目覚しい進歩が見られるとはいえないだけに、本当にこのままで良いのか?という疑問を感じずにはいられない。 さてロンドンのロフタス・ロードでは、オーストラリアと南アフリカの親善試合が行われ、豪州が1−0のスコアで南アを破った。南半球同士の試合なのに、なぜイギリスで?という疑問が湧いてくるが、実は豪州代表「サッカルーズ」の主力メンバーの殆どが、英国を初めとした欧州各国のププロリーグで活躍している。だからわざわざ本国に帰ってシドニーやメルボルンなので試合をするより、あちらでやった方が好都合なようだ。今回は主力を揃えただけに、サッカルーズにとっても自信満々で望んだことだろう。 「サッカルーズ」という愛称は、サッカー+カンガルーから名付けられた。やや安直な気もするが、わかりやすいといえば、これほどわかりやすいニックネームも無いだろう。ラグビーやオージー・フットボールの人気に押されがちな豪州国内でのサッカーだが、欧州でプレーしている選手達の実力はやはり高い。特にエース格のハリー・キューウェル(リバプール)は凄い選手だ。スポーツ大国・豪州だけあって、たとえ国内人気は今ひとつでも彼らの潜在能力は計り知れない。本来ならワールドカップに毎回出場して、一次リーグを突破できるだけの力を充分に持ち合わせているといえるだろう。 ところがこの「サッカルーズ」、なかなかワールドカップ本大会にコマを進めることが出来ない。1974年の西ドイツ大会に出場したのを最後に、ことごとく予選で敗れ去っているのだ。特に過去3大会は全てプレーオフで敗れ去っている。アメリカ大会予選では、あのマラドーナがいるアルゼンチンに敗れた。ホーム&アウェーの第1戦はシドニー・フットボールスタジアムで行われこの時は1−1とドローに持ち込んだが、次のアルゼンチンの試合では0−1で惜敗した。シドニーでの試合は私も当時NHK衛星放送で見たのだが、「ドーハの悲劇」後の半ば茫然自失とした状況の中だったので、ワールドカップに対する希望がまだその時点では潰えてはいなかった豪州が、何か羨ましく見えたものだ。 さらに惜しかったのが、フランス大会への出場を賭けたイランとの死闘である。イランは、あのジョホールバルでの日本戦に破れて豪州との決戦に回っていた。そしてテヘランでの初戦をドローとし、かなり有利な状況の中メルボルン・クリケット・グラウンドでの第2戦を迎えたのである。 サッカルーズは2−0と、ほぼ99%出場を掌中に収めていた。ところがそこからまさかの2ゴールを奪われ、2−2で引き分け。規定により、イランの本大会出場が決まったのである。これはまさに「ドーハの悲劇」ならぬメルボルンの悲劇であったと言えるだろう。そして2002年日韓大会でもウルグアイに敗れ、サッカルーズの悲劇を解消する事が出来なかったのだ。 このように不運な面もあるにせよ、やはり一度は自力で本大会にコマを進めて、オージー旋風を巻き起こしてくれる事を切に祈りたい。豪州サッカー界の不満は、オセアニアが単独で大陸連盟を持ちながら、出場枠が0.5しかない事にあるという。しかし現時点では、オーストラリア以外のオセアニア諸国のレベルが低い。ニュージーランドやサモアなどは、サッカーよりラグビーで強豪として有名である。だから、もし今オセアニアに出場枠1を与えてしまうと、ほぼ確実に豪州は出場する事になってしまうだろう。豪州協会は、オセアニア予選をもう少しコンペティティブにする為、他の国の強化にも手を貸さないといけないのであろうか。 そして良い選手は、ことごとくヨーロッパに移籍してしまう。それ自体は豪州サッカーのレベルアップにつながるので良い事ではあるのだが、結果として国内サッカーが何時まで経ってもなかなか盛り上がらず、また代表の継続的な招集・強化も難しいということにつながってしまう。いろんな意味で難しいポジションにいるのが、悩めるサッカー強国・豪州の現状なのである。この現状を打破する為、サッカー界は豪州スポーツ界の大物、ジョン・オニール氏を招いたと「ワールドラグビー・パートナーシップ」で読んだ。これが豪州サッカー、特に国内サッカーにどのような好影響を及ぼすか、注目していきたいと思う。
(文中敬称略) メジャーリーグの日本開幕戦、タンパベイ・デビルレイズvsニューヨーク・ヤンキースの2連戦が終了した。結果は1勝1敗。両チーム共に良い内容のプレーを見せて結果はイーブン。しかも松井秀喜の本塁打を見ることが出来たのだから、当日東京ドームで観戦したファンにとっては大満足の2日間であっただろう。 しかしそれでも、この日本での開幕戦が果たして本当に意義があるのか、筆者にはたいへん疑わしい。思い起こせば、セントルイス・カージナルスに在籍していた頃のマーク・マグワイアは、日本での公式戦開催に反対したと伝えられている。「日本には、日本のプロ野球があるじゃないか、どうしてわざわざ、日本にまで行ってメジャーが公式戦をやらないといけないんだ」という”ビッグマック”のコメントが当時伝えられたのである。2000年に行われた史上初の日本開幕戦、シカゴ・カブスvsニューヨーク・メッツの対戦カードは、当初「マグワイアvsサミー・ソーサ」が見られるカブスvsカージナルスが計画されていたのだが、結局はメッツに変更されてしまった。このマグワイアのコメントは、たいへん保守的なものであり、野球の国際化を推進する為には都合の悪いものであったかもしれない。だが彼のコメント、特に前半部分は、今でも充分に吟味する必要があるだろう。事実、今回の日本開幕戦と、その前に行われたプレシーズンゲームのおかげで、パリーグの開幕戦は非常に色褪せてしまった。 それに、あの東京ドームの雰囲気は、本場メジャーの雰囲気には程遠い。あの試合を見たからといって「メジャーを体験した」とは、まだ言えないだろう。もちろん、出場した選手は本当の本物だ。プレーも一級品である。そして日米野球とは違い、本物の真剣勝負である。だがプロスポーツは、選手だけでは決して存在し得ない。ヤンキースタジアムのあのファンがいて、初めてヤンキースのピンストライプは輝きを放つのだ。私は以前、メジャーの試合を「本番」、日米野球は「擬似本番」にたとえた。今回の日本公式戦は、もう少し「本番」には近いものの、それでも変な心持ちを、最後まで拭う事は出来なかった。そういう意味では、本物により近い「リアルなイベント」であったとでも言ったほうが良いだろう。それにアメリカのファン投票では、今回の”開幕戦”をもって、メジャーが開幕したとは考えにくい、という意見が大勢を占めていた。TVでいうと「リアリティショー」とでも言うべきだろうか。日本人と違って、アメリカ人のスポーツ志向は基本的にドメスティックであり、たとえ自国のチームであっても、海外で行われている試合を朝早くから熱狂的に見つめる、というような事は未だに一般的ではない。 ただ良かったのは、相も変らぬ日本人の熱烈歓迎振りである。あういう暖かく、しかも熱狂的なもてなしが出来る日本人のホスピタリティが未だ存在する事には、筆者は大いに安心している。しんどい思いをして時差ボケが抜けきれない中、試合をやった両チームの選手には、日本に対する良い思い出が残ってくれた事を希望する。 (文中敬称略)
2003/2004年シーズンは、アメリカのTV界にとって重要な意味を持つ年になるかもしれない。「フレンズ」「フレイジャー」そして最後の方はかなりシリアスな内容を含んではいたが「Sex
and the City」という3本の大ヒットコメディ・シリーズが、今シーズン限りで相次いで最終回を迎える(迎えた)からだ。私は「フレンズ」は好きでは無いから見ないのだが、「フレイジャー」が終わるのはなんとも言えず寂しさを覚える。この番組は私の好きな、80年代を代表するシットコムである「チアーズ」からスピンオフした番組なのだ。 ご存知のことと思うが、いまのアメリカTV界ではリアリティ番組が花盛りである。あのスポーツ専門ケーブルTV局ESPNまでもが"DREAM
JOB"というリアリティ番組を放送した。対照的に、伝統的なシットコムはここ数年、その人気に低落傾向が見られる。もちろん面白い番組はまだまだあるのだが、上に挙げたようなロングランを誇る超人気番組がなかなか出て来そうにない。「アメリカン・アイドル」や「アプレンティス」のような番組に比べて、コメディへの注目度は相対的にダウンしてしまった。これはドラマにも言えることだ。 コメディが成功する条件は、俳優とその登場人物のキャラクター作り、そして良い脚本に拠るところが大きいが、最近のコメディはこの脚本の部分が少し弱いように感じる。だんだん能天気なシットコムは、一般の人が出演する番組に比べて、それこそ現実味に欠け、うそ臭く感じるのかもしれない。だがそれでも、人々は何時の時代も、浮世の憂さを忘れさせてくれる楽しいコメディを求めている部分があると思う。「チアーズ」のような何時までも心に残るコメディは視聴者に育てられた部分も大きいと思うし、私はこれからもコメディ贔屓でいつづけたいと思うのだ。そう言いながら、今夜もDREAM
JOBの再放送をチェックし様と考えている自分がいるのだが…
(文中敬称略)
シカゴは、私の大好きな街である。ニューヨークのように便利な大都会ではあるが、人々はニューヨーカーほどあくせくしていない。もちろん、その慌しさこそがニューヨークの魅力であり、ニューヨークだって大好きなのだが、しかしたまに訪れるシカゴの魅力も充分捨てがたいものがある。寒い冬を除いては気候も素晴らしい。食べ物も美味しく人も良い、そして自然にも恵まれているとなれば、2年も訪れないととても恋しくなってしまうような街なのだ。 シカゴといえば、私が思いだすのは「ヒルストリート・ブルース」という警察ドラマである。このドラマ、私が大学生の頃にフジテレビで深夜放映されていた。深夜といっても、半端な深夜ではない、確か深夜3時台だったはずだ。だから毎週見られるという訳ではなかったが、起きていれば必ず見ていた。まずオープニングのテーマ曲から良い。警察ドラマの主題歌といえば勇ましいものを連想しがちだが、このドラマのテーマ曲はピアノによる、どちらかといえばロマンティックなメロディである。 そしてもちろん、ドラマの内容も良かった。それまでの警察モノと言うと、大抵は個性的なカッコ良い刑事が登場して、事件を鮮やかに解決していくタイプのものが多かった。いまリバイバル版が作られてアメリカで上映されている「スタスキー&ハッチ」や「刑事コロンボ」「コジャック」などは、その代表例であろう。しかし「ヒルストリート・ブルース」には、そういうヒロイックな活躍をする主人公は登場しなかった。変わりにごく普通の警察官たちが多数登場し、街で起こる様々な事件とその人間模様をリアルに描いていたのである。私はこのドラマに「大人の生きざま」と「都会の匂い」を感じていた。60分の間に事件解決、なんていう予定調和の世界とはまるで無縁なこの作品は、後の米国TVドラマに多大な影響を及ぼしたといわれている。 では、なぜシカゴといえば「ヒルストリート・ブルース」を思い出すかというと、この作品はシカゴで撮影されたからである。この言い方は、正確には正しくない。なぜなら、私はその事実をつい最近まで知らなかったらだ。1997年に、初めてシカゴを訪れてダウンタウンを歩いたときに「この雰囲気、どこかで見たことあるよなぁ…」と感じた。また別の機会に車で迷い、危険と言われるサウスサイドに紛れ込んだ時にも「あれ、何かどこかで見たような気がする」と思ったのだが、それはなぜだか分からなかった。そしてアメリカで「ヒルストリート…」の再放送を見たとき、ある日ふと「あ、この風景シカゴに凄く似ているなぁ」と思い出した。そして調べてみたところ、シカゴで撮影したということを知った。私が見たシカゴの実風景は、10年近く前に日本で見た、あの大好きだったドラマのシーンと重なり合っていたのである。 実際にはドラマの中で、この街がシカゴであるという説明は一度も無かったようだ。ただ観光客でも感じたのだから、シカゴに住む人々には説明が無くともよく分かっていたのではないだろうか。
(文中敬称略) |
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