無理やり200文字前後でダイスポが語ります。

 

<さらば青春>
耳から毛が生えてきた。もうダメだ。

<古本屋>
古本屋に凝っている。アメリカにももちろん古本屋はある。また最近、マンハッタンにも新しい日系の古本屋が出来た。アメリカでは新刊を売っている書店でもバーゲンをやるのだが、それでも新刊書は高く感じる。だから古本屋は本好きにとっての強い味方だ。
子供の頃、母が古本を買うことを許してくれなかった。汚い、誰が読んだか分からない本を家に持ち込むなというのだ。随分な話だ。今度帰国したら神保町に毎日通ってみたい。
<カラオケ>
そういえば最近カラオケに行っていない。もともと歌うこと自体は大好きな性分ゆえ、カラオケ好きである。
最近桑田投手に関する本を読んだが、彼は洋楽中心に歌うらしい。私も実は洋楽を歌うのが好きである。洋楽を歌うとしらけるなどと言われるが、構うモノか。カラオケは自分のために歌うのだ。
昔懐かしい、A−Haの「テイクオンミー」なんて素人が歌えばどうなるんだろう。ただの騒音になるのだろうか。
<国連>
国連サミットがNYで行われた。期間中、国連本部のあるイーストサイドは物々しい警戒態勢であった。あんな数の警官は久しぶりに見た。こんな誰が住んでいるやら分からないような街でそんな大掛かりなイベントをやれば、大変なことになるのは目に見えている。次回はもっと南太平洋の小さな島でやればどうだろう。ホテルに泊まったりしないで首脳同士皆でキャンプ生活でも送れば、世界平和も進むのではないか。
<池袋-1>
東京で初めて暮らしだしたのが、池袋の周辺だった。最初は南大塚、次が要町である。大塚のアパートは4畳半で家賃2万7千円。もちろん風呂は無かったが銭湯が隣にあり実に便利であった。それまで銭湯というのは殆ど行ったことが無かったので、自分にとって貴重な体験となった。しかしある日の深夜2時過ぎ、部屋で寝ているときな臭い匂いを感じ、なんだろうと思っていると消防隊員が入ってきて逃げろとどなった。銭湯が火事になったのだ。
<22>
昔の子供なら、風呂屋の下足札は「3」の奪い合いだったという。長嶋茂雄の背番号を皆欲しがったからだ。昭和50年代を大阪で過ごした、私のヒーローは阪神タイガースの主砲・田淵幸一であった。
どんなものでも私は「22」を欲した。しかし自分が中学に上がる年、田淵は西武ライオンズにトレードに出された。私は阪神球団は頭がおかしいと思った。ショックで数年阪神の試合から離れた。
今でもタイガースは一応好きだがあのトレードだけは許せない。

<焼き肉>
その田淵が新聞のインタビューで「昨夜は山本浩二と焼き肉を食いに行ったから、今日は下痢だよ」と語るのを見て、私は焼き肉を食べに行くと下痢を起こすものだと思っていた。
暫くして焼き肉を食べに行っても下痢なんか起こさないのでなぁんだと思った。しかし大人になって焼き肉を食べに行き、生ビールを浴びるほど飲むと翌日腹を壊すことが多々あり、田淵の話はやはり正しかったと思い知らされた。
大阪の焼き肉屋には庶民の匂いが充満している。

<オペラ>
高校のとき音楽の授業でテノールを担当した。イタリアから帰ってきたばかりという先生に「君、オペラ歌手になれるよ」とおだてられた。もちろんただの冷やかしだが、将来はオペラ歌手になっても良いかナと思った。
実に単細胞な頭だが、それ以来オペラは好きである。その意味では冷やかしてくれたことを感謝している。ニューヨークにはメトロポリタン・オペラがあり時々出かけるが、やはり4時間近い大作は見るのがしんどい。

<フォレスト・ガンプ>
先日ワシントンDCに行った。映画「フォレスト・ガンプ」にもワシントンのシーンが出てくる。
東京で勤めてた頃、いつ会社を辞めるものか悩んでいた。しかしある日とうとう辞職を決意し、明日上司に辞表を出そうと思った。辞職願の書き方が分からず、本屋に雛型を探しに行った。その時店頭に「ガンプ名言集」みたいなタイトルの本が平積みにしてあった。
手にとって見てみると「夢を見るのは良いが仕事を辞めてはいけない」とあった。辞表を出すのは見送った。

<天国と地獄>
私が5歳の時祖父が死んだ。葬儀に私も参列したが、その頃子供向けの絵本で「地獄はこうなっている」というのを見ていた。それによると地獄では人が釜茹でになったり食べられたり大変なことになっている。
これはおじいちゃんが大変、と思った私はお通夜の席で「ねぇ、おじいちゃん天国行ったん、地獄行ったん?」と母に尋ねた。それを聞いた母は真っ赤な顔をして「アホ!天国に決まってるやろ」と私を叱ったものだ。

<景山民夫>
景山民夫という人に一時期猛烈に憧れた。「タモリ倶楽部」などを担当していた構成作家時代である。「ブルータス」という雑誌にエッセイを連載しており実に格好がよかった。
こんな仕事をしたい、こんな人になりたいと思っていた。しかし小説家に転進し、宗教活動にのめりこむようになった頃には夢も醒めたものだ。ダメと言うのではなく自分の想像した人と違っただけ。一度見かけた事があるがある理由でショックを覚えた。 彼が亡くなってもう2年になる。
<将棋>
中学生の頃将棋を覚え、熱中した。遠藤君という、学年で一番強い人にも勝つ様になり、更に強い相手を求めて将棋道場にも通うようになった。だがうっかりミスの多いこの性格では、大して強くなるわけも無くいつしか熱も冷めた。
デパートで行われた将棋大会に出たことがあるが、その時若手時代の谷川浩司が指導に来ていた。彼の眼光は鋭く、私は恐怖感すら覚えた。あれが勝負師の眼光なのか。初めて見た本物の天才であった。 

    

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