もう一つの格闘球技 オーストラリアン・フットボール
第一回:いざシドニー
1987年。当時、私は大学生であった。 ある土曜の夜、何時ものように遅くまでテレビを見ていた。当時の人気番組といえば、あの「オールナイト・フジ」。いわゆる女子大生ブームの火付役となったバラエティ番組だ。 素人同然の若い女が大挙出演しているだけのくだらない内容の番組だったが、何もすることがない時の私はよく暇つぶしにこの番組を見ていた。 その日の放送も、変わらぬ馬鹿騒ぎが続いていた。しかし番組の途中で突然、異様な姿をした若い男が現れた。男は身長2mもある白人だった。いかにもスポーツマンらしい、鍛え上げた筋肉隆々の肉体。その上からは半そで半パンのラフな、何かのユニフォームのようなものを身にまとっていた。右手にはラグビーボール。ラガーマンか?しかしあんなユニフォームは見たことがないぞ… 番組の司会者は、彼をこう紹介した。「こんど日本で行われる『オージーボウル』に出場する選手の○○さんです」。 ん?オージーボウル?なんだそれは?簡単な説明のあと、その「オージーボウル」の試合ダイジェストの映像が流された。それは寝ぼけ眼でボーッとテレビを見ていた私に、強烈な一撃を食らわすかのような衝撃的なものであった。 ラグビーボールを、大柄な男たちが空中で激しく奪い合う。時には殴り合い、蹴りあい、そして掴みかかって相手を引きずりまわす。「紳士のスポーツ」として持てはやされていた、当時のラグビーではちょっとお目にかかれないような激しいプレーぶり。オーストラリアの人気ナンバーワンスポーツと言う、この「オージーボウル」は、激しいスポーツが好きな私の心を一発でとらえてしまった。 やがて数週間が経過し、この「オージーボウル」ジャパンゲームの試合がやはりフジテレビで深夜に録画放送された。舞台は横浜スタジアム。実況は当時、プロレスの過激なアナウンサーとして一世を風靡した古館伊知郎。そしてゲストに、人気歌手のチャゲ&飛鳥が来ていた。 初めてみる「オージーボウル」の試合は、期待通りの迫力に満ちたものであった。乱闘こそそれほど起きなかったが、激しいコンタクトプレーがあるたびに古舘は「ウエスタンラリアートが決まった!」「エルボースマッシュ一発!」などと、プロレス式のボキャブラリーを駆使して盛り上げていた。しかしそんな陳腐な言葉を使わなくても、私はこの「オージーボウル」が、想像していたよりも更にタフで、スピード感があり、そして宣伝に使われていたダイジェスト映像よりもずっとクリーンにプレーされる競技であることを知ったのである。あのダイジェストは、試合の中で時折発生するラフなプレーだけを集めた、いわゆる「煽り」映像なのだな、と思い知らされた。 ラグビーに似て、しかしラグビーとはまるで違うこの「オージーボウル」に、私はすっかり魅了されてしまった。そしてその試合を、どうしても現地で見たくなった。もっとこのスポーツのことを知りたいと思った。しかし当時の日本で、オージーボウルに関する具体的な情報は皆無に等しかった。 そうなれば、現地に行くしかない。極めて単純な私はオーストラリアに行くことを決意した。しかしなにぶん、はじめての海外旅行である。英語もさっぱり出来ないし、また現地に行ったところで試合が見られるのかさえも分からない。旅行代理店が出しているパンフレットを見ても、オージーボウル観戦なんてツアーはもちろん無かった。そこでとりあえず「行きゃ何とかなるだろ」と、シドニー・ケアンズ9日間のパックツアーを申し込んだ。 生まれて初めて取るパスポート、観光ビザ。ついでに飛行機に乗るのも初めてであった。 一緒にいく友人はビーチで寝そべり、ビキニのお姉ちゃんを見物するのだけが目的であった。 そうして到着した真夏のケアンズ。ここはハワイみたいなもので、「オージーボウル」が見れそうな雰囲気のところではなかった。やはりオージー見るならシドニーだ。その前に、ここではせいぜい肌を焼いて、オージーに負けない肉体を作ってスタジアムに乗り込もう。生白い身体では、荒っぽい現地の観客にケンカを売られるかも知れないしな…そんなことを、なかば本気で考えていたのを覚えている。 やがて我々はシドニーに着いた。さぁいよいよ憧れのオージーボウル観戦だ!私の心は高鳴った。 シドニー市内をあちこち歩き回る。どこだ、スタジアムはどこだ…競技場に行けば、何か情報を得られるに違いない。 あった!競技場だ。しかも中からは歓声が聞こえている!しめた、いま試合をやっているんだ。私は切符売り場に行くと、中にいるおじさんが「そのまま入れ」と言う。おおタダなのか。これは気が利いている。そりゃ人気ナンバーワンスポーツだもんな、それくらいのサービスをしていても当然だよな。 鼻息荒く、私はスタジアムに駆け込んだ、遂に見る、憧れのオージーボウル!(続く)。
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