ノーラン・ライアンとロジャー・クレメンス
序 ライアン殿堂入り
1999年1月5日の朝。ノーラン・ライアンは、テキサスアルビンの自宅で目覚めた。それは何時もと同じ、ごく普通の1日のスタートであったが、ライアンはこの日、とてもナーバスになっていた。 ライアンは電話を待っていた。正午を過ぎれば間もなくかかってくるはずの電話がとても待ち遠しかった。ライアンは気を紛らわせる為に、年末に貰ったクリスマスカードのお礼を書いていた。 そして電話が鳴り響いた。電話の主は、ライアンが待ちつづけていた相手であった。 数時間後、アルビン・コミュニティカレッジにあるノーラン・ライアンセンターでは、数百人の人々が集まっていた。ごったがえす報道陣の輪の中にライアンが、妻や3人の子供たちと共にいた。ライアンの古くからの友人達も駆けつけていた。 ジョージ・W・ブッシュテキサス州知事が、聴衆に向けて高らかに宣言した。「正式に決まった。ノーラン・ライアンは今日、野球の殿堂入りを果たしたのだ」。 全米野球記者協会の投票による、1999年度野球殿堂入りの投票が行われ、ライアンは史上2位の得票率となる98.79%の支持を得て、資格を得た初年度にいきなり殿堂入りを決めた。他にもこの年、カンザスシティ・ロイヤルズで主砲として活躍したジョージ・ブレットと、ミルウォーキー・ブリュワーズで遊撃手、外野手の異なったポジションでMVPを獲得したロビン・ヨーントが、ライアンと同じく1回目の投票で「当選」を果たしている。 ライアンには投票に参加した497人中、実に491人の支持を得た。だがブッシュは「投票しなかった記者は、きっとライアンのピッチングを見たことが無いに違いない、彼らが一体誰なのか捜そうか」と言って笑わせた。 しかし実際のところ、ライアンのピッチングを一度も見たことも無い、という野球ファンを捜すのは難しい話だった。1960年代にニューヨーク・メッツの投手としてメジャーにデビューして以来、ライアンは70,80,そして90年代前半まで、メジャーを代表する剛球投手として君臨を続けてきたからである。そして数多くの大記録を達成して、1993年に現役を引退したのである。(続く) |
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