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 コラムあざらし第三回 「大変ご無沙汰しておりました&Photoshop礼賛の巻」

  皆様、大変ご無沙汰しておりました、ふつつか者のあざらしでございます。(深々とぺこり)夏以降、劇的に忙しくなってしまったことより、長らくこちらを留守にして申し訳ありませんでした。(涙)先日クリスマスを機にカードにてダイスポさんに許しを請うた次第でございます。皆様、どうぞ寛大なお心にて非礼をお許し下さいませ...。

  (今日の本題:「Photoshop礼賛」)

  最近、テレビ東京のワールドビジネスサテライトでやっている「銘品礼賛」で明治製菓のカールや不二家のミルキーを取り上げておりましたが、私にも密かに礼賛してやまない一押しの一品がございます。それが、かの有名なAdobe社のPhotoshop!世界最強のプロ仕様画像加工ソフトというこんなに有名なソフトについて、今更何を言うかとお思いになるかもしれませんが、このソフトを使うことによってひとつ新しい可能性に気づかされた、今日はそんなことについてお話させていただければと思います。

  (Photoshopとの出会い)

 私がこのソフトに初めて出会ったのは今から一年前のことでした。突然の思いつきで、拙サイト「ロイヤルズクラブ」を始めようと考えたのですが、当時は実はHTMLはおろか、JPEGもGIFも知らない全くのずぶのサイト初心者でした。そしてそんな私を見かねたのか、親切な姉が「これを使いなさい。必要になるから。」といって、Photoshopを私のPCにインストールしてくれたのです。

  もちろん当時の私はPhotoshopが何のためものかも知りませんでした。立ち上げてみると、そこには小さな記号がたくさんついていて、適当にクリックしてみるも、ただ太い線が引けたり、ブラシでお粗末な落書きが描けるだけ。絵心の全くない私には、どうにも使いこなせない代物だと諦めかけましたが、でもその中でサイトに写真を載せるときにとても便利な機能「Web用に保存」(HPに載せる画像を軽くして最適化する)というものがあり、必要に迫られてそれだけは何とかマスターして、もっぱらその機能ばかり使っておりました。

 (いろんな欲求が生まれてきた)

 最初はそれだけでも大変だったのですが、やがてそれにも慣れ、だんだん自分の中でイメージ通りの画像が欲しいという欲求がわいてきました。美しい写真をより強く印象づけるための、デザインされた文字。写真をそのまま掲載するだけでなく、色調補正やシャープさを増すために一手間をかける。そんな小さな欲求が、ひとつひとつPhotoshopのHow-to本とにらめっこしつつ、紹介された技術を独学で身につけることを可能にしてくれたのかもしれません。

 とはいっても、最初からイメージしたものができるはずもなく、何かを作るたびにフラストレーションがたまりました。(まだまだ勉強中の今も、それは全く変わりません。)ただ、最近はそんな自分へのいらだちの中にも、少しずつではありますが、歓びも生まれつつあります。

 (Photoshopが私にくれた贈り物)

 Photoshopでは、自分が気に入った素材となる画像を持ち寄って、それをこのソフトに組み込まれた実に多用な手段によって加工して組み合わせることにより、自分なりに心の中でイメージする美しさを表現することができます。こうした視覚的な美しさは、一昔前なら絵心なしには到底表現不可能だったかもしれませんが、デジタル化の恩恵を受けて、私のような人間でも、限界はあってもある程度は表現が可能だということに気がついたのです。そしてそれは、私にとっては今まで長らくあきらめていたものを、もう一度手に入れ直した瞬間だったように思えました。

 「自分の中には、本当は画像で視覚的に表現したいものがあるのかもしれない。」これもまた発見でした。子供の頃から体育と並んで一番苦手だった図工と美術。自分とは一番無縁だと思っていた世界で、本当は、自分はこんなにも表現することを欲していたとは。それは大いに驚きでもありました。そして、Photoshopを使い慣れるにつれ、どんどん自分の中でイメージがわいてくるのです。だから今、あれもしたい、これもしたいとしたいことだらけ。(笑)

 だから、今心からこのPhotoshopというすばらしいソフトに感謝しています。私に表現のための一つの手段を、可能性を与えてくれた。これはとても重要なできごとでした。だから、これからはこのソフトを学びつつ、少しずつこのPhotoshopと共に成長していければいいなという気持ちで一杯です。

 まだまだ学ぶべき事は多い、この奥深き美しきPhotoshop。その魅力の虜になる日々は当面続きそうです。(笑)

 

コラムあざらし第二回 


「まつげくるん考〜きれいなお姉さんは好きですか?M下電工勝手に協賛編〜」

 「きれいなお姉さんは好きですか?」というあのウルトラ有名なテレビCMをご存知ない方は、この日本広し?といえどもまずいらっしゃらないに違いないでしょう。とても清楚で好印象、でもその中にほんわかと香るような色気のある可憐な女優さんが、とても見事に手入れされたワキとかウデ、アシを不自然かつ不必要なまでにこれまでかと見せつけて、「うちの製品だとこんなにきれいになりますよ、」と謳うあれですね。

 で、悔しい?けれど、「あんなにはきれいにはならんよな」(苦笑)と思いつつも、CMに自分も踊らされている?かもしれないなと悔しがりつつも、なんだかんだとM下電工にお世話になっている女性は実に多いにに違いありません。かくいう私もその一人。私は自分の好みの問題で、アシやウデがつるんつるんになる方の機械は使ってはいないけど、でも最近ひそかに愛用しているものが一つあります。それが「まつげくるん」なのです。(笑)

 とはいっても、この「まつげくるん」、果たして一体どんなものか、このコラムを読んでいる大多数の、特に男性諸氏の方はご存知ないでしょうから、簡単に説明と参
りましょう。
 これは、一言で言うなら「温熱ビューラー」。つまり、電気の力で約50度?前後に暖められたパッドに上下から自分のまつげを根本までぐぐっとはさんで、少し持ち上げてそのまま固定。どんなごっつい、もとい、しっかりしたまつげの人であっても、大体約20秒もあればしっかりとくるりんとラブリーに巻き上げられる、という代物。


(そして商品のお値段も実にいろいろ。私はバーゲンだったのを良いことに、やや高い方の定価4000円位のものをもちろん「割引価格」でゲットしました。)

 これが実に楽しくて!(喜)自分の体の一部がこんなにも簡単に変化する!というのは、すごく見ていてわかりやすく、その効果にすっかりはまってしまいました。
(笑。ビ○レ毛穴すっきりパック以来の感動です!!)そして、まつげはぱっちり。
そう、日本人の約9割の女性のまつげは下に向けて生えているのですが、それが見事に上に向くのです。そして見事な放射状に持ち上げられたまつげが、自分の小さな目を少しでも大きく見せてくれる。つまりは、他人の目の錯覚を誘うのです。

 そう、化粧というのは、他人の目をあざむくためにあります。特にアイメークはそうだと言えます。基本のテクは、目の下に目元から白いアイラインを三分の一ほど入れて、目の上にはまつげの隙間を埋めるように黒のアイラインを入れる。目尻は少し跳ね上げるようにして、目をすっきりした印象に。まぶたには三色のグラデーションを入れて、立体感を演出。唇はラインを自分の唇より1ミリ外側に描いて、ベージュのリップとパールピンクのグロスでつややかでグラマラスな印象を。

 と、いつも私は自分で化粧をするたびに思うのですが、なぜこんなことに世の多くの女性は真剣に、しかも多額のお金と時間をかけて取り組むのでしょうか。時々、真剣に黒のリキッドのアイラインを入れようとして線が歪んで結局失敗、(結構難しいのです)それに心底腹が立つ自分にあきれることがあります。アホらしくてたまらないです。でも、本当に失敗すると心底腹が立ち、悔しいのです。(苦笑)

一体、自分の顔に絵の具のようにして化粧品をぬったくって、だから何なのでしょう。化粧をするのは決して嫌いではありません。でも、その化粧をする自分の姿を滑稽に感じることは多々あるのです。そう、化粧は一体何のために??人はなぜ美しくなろうとするのでしょうか???美しいとは何!?

 そして、この疑問は「まつげくるん」にも当てはまります。あれほど、この世の中に不思議な商品はないかなと思ったりします。一体この製品がどう世の中のお役に立っているというのでしょう。何かまつげがくるんとして、世の中に意味があるんでしょうか。私のまつげが少々上向いて、だからどうしたというのでしょう。

 それでも、やはりこの楽しさはやめられません、「まつげくるん」。当面は手放せそうもないので、私の化粧ポーチにしばらくは入ったままになることでしょう。(苦笑)「まつげくるん」は私にとって大いなるナゾの一つでもあります。(笑)

(2002.7.11)

 

第1回

「日曜の朝は霊柩車で目覚めて」

(私の家と子供時代、そしてたくさんのお葬式)

 「ふぁんふぁ〜〜ん!」という甲高い音が頭のすぐわきで鳴り響く。子供時代、たいてい日曜日の朝は、霊柩車がお葬式の最後、お別れの合図に鳴らすクラクションで目が覚めた。

そう、あざらしの家は浄土真宗のお寺。窓を開ければ、そこは見渡す限りのお墓。当時休みの日、つまり自分が家にいる日はどういうわけかしょっちゅうお葬式が自宅で行われていた。いつも「死」が文字通りすぐ隣にあった。私の部屋のガラス越しにあったのだ。

時には、大往生で亡くなられた年輩の方のお葬式がある。その人のすばらしい生き様をたくさんの人が褒め称え、まるですごろくのあがりであるかのような感嘆の念を持って受けとめられる、とても前向きなお葬式。

そうかと思うと、まだ働き盛りの三十代の人が、三歳にもならない子供を残して、ある日いきなり交通事故で亡くなってしまったお葬式。残された我が子は、父親の死も理解できずにその辺を元気良く走り回っている。そんな参列した人がひたすら泣きやまない、怒号すら聞こえてくる悲劇の式。長年大きな病気を患っていた患者さんの、死者も遺族も覚悟の上で迎えた惜別の式もある。生まれて間もない我が子をなくし、その若い両親と親族だけで、ひっそりと行われる密葬も。焼いて済んだ後の赤ちゃんの遺骨などほとんど残ってはいないだろう。あまりにも小さな骨壺を抱いて、肩を落として帰っていく幼い夫婦もいる。

そんなたくさんの、いくつもの数え切れないお葬式を見て私は育った。


(お寺といっても、ごく普通の生活)

お寺に育った、といっても、格別特殊な環境で育ったわけではない。うちは禅寺ではないので特別に修行するわけでもなく、ごく当たり前の一般市民の生活を送っていたと思う。

世間では誤解されがちだけれど、お寺に住んでいても肉も大いに食べるし、お酒も飲む...と、いっても我が家は大の甘党。父はお酒が全く飲めなかったので、パチンコに行ってはチョコレートを茶色の紙袋一杯に持ち帰り、子供と一緒に食べていた。寝る前には布団の中で天津甘栗。朝見ると、剥き捨てられた大量の栗の皮が、父の枕元に散っていたのを思い出す。そしていつも冷凍庫にはホームサイズ2リットルの巨大アイスクリームが必ずで〜んと常備されていた。(そして父も私も恥ずかしながら案の定の太りすぎに...)そう、およそ節制とは無縁の生活...。

(私がお寺から受けた影響)

 とはいっても、そんな煩悩にまみれた生活にあっても(苦笑)、父は僧侶として実にがんばっていたし、登校拒否や離婚の問題を抱えた家族が、父に相談するために我が家に夜半に遠くからわざわざやってきていたのを覚えている。

その真剣に相談する様を小さな私は遠くから見ていた。何か人前で話をする機会があれば、手弁当で報酬も受け取ることなく、どんな遠くにでも出かけていった父。生きること、死ぬことにどこまでも向かい合おうと努力していた。そしてそれがどれだけ価値あることか、私は僧侶としての父の背を通じて自然と学んでいたのかもしれない。
 
だからお寺に育ったことによる影響は確かに私にとって決して小さくはない。お葬式もそう。極めて当たり前のことだけれど、人間は何よりもまず、死ぬのだ。生きるのは生半可なことではない。人はだから誰もが生きるのに必死だ。そして忘れている。本来その先には「まず死ありき」なのだ。私はそれを数多くの葬式に学んだ。

(決して当たり前ではない、生きているという事実)

いつも休みの日の朝、霊柩車のクラクションの音にたたき起こされる度、一瞬は気持ちよく寝ていたのにと腹立たしく思うのだけれど、次の瞬間子供心に、自分はなぜここに生きているのか、布団の中で暖かい体を横たえているのか不思議に感じた。まるで生きてこの世にこうして存在していることの方があたかも幻であるかのようにすら感じていた。

 なぜ人はこの世に生まれ、今を生きるのか。そこには人智を超えた、計り知れない意味があると私は感じている。そしてその意味を知るために、おそらく人は生きているのだろう、たいていの場合はそうとは知らずに。無意識的なままに。
 
生きることの延長に死ぬことがあり、死ぬことはまた生きることでもある。そう、生と死は現象としては大いに異なっても、本質は全く同じもの。だから決して死を恐れることはない。私はいつもこのことを肌で、本能で感じている。お寺とは、そんな生と死の交差点のような場所。

そして私は今日もそこに立っている。